宮崎地方裁判所 昭和33年(ワ)205号 判決 1961年8月03日
判 決
東京都千代田区
原告
国
右代表者法務大臣
植木庚子郎
右指定代理人
小林定人
同
山口常義
同
斉藤勇
宮崎県串間市大字奴久見字笠祗一、四一九番地
被告
鈴木盛助
右訴訟代理人弁護士
藤本吉熊
主文
被告は原告に対し金三八七〇、六六七円とこれに対する昭和三二年三月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払いせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告指定代理人らは次のように述べた。
第一、請求の趣旨
主文同旨の判決を求める。
第二、請求の原因事実
一、被告は昭和三二年三月二〇日宮崎県串間市大字奴久見字夫婦石にある自分の未懇地で、家族の者及び人夫六名を使つて開拓作業をしたが、そのとき掘起した根株、枝などを焼却するため、その地内に五ケ所に溜焼場を設け、同日は終日そこに根株、枝などを投げ込んで焼却した。
二、そうして、同日午後六時頃作業を終えて帰宅する際に、右溜焼場に更に根株などを積み重ねて終夜燃え続けるように工作したうえ周囲には僅かの土砂を掘りかけたまま放置して帰つたため翌二一日午後二時三〇分頃から風速一〇米の西風にあふられ、溜焼場の残火が附近の雑木林に飛火し逐次延焼して同月二二日正午までの間に、右未懇地に続く別紙第一目録記載の原告所有林を四二五町歩焼燬した。
三、右未懇地は、高さ約一五〇米の小高い山の西側の傾斜地で勾配約一五度ないし二〇度であつて、その西下方には、北東から南西に細長い小谷があり、同小谷越の北西側は高台で、右未懇地の南側は約三五〇米の間は勾配一〇度ないし一五度の南面の傾斜地、南東側は勾配約一〇度ないし二〇度の西向の傾斜地に接していて、当時附近一帯は、同じく開懇作業が進められ雑木を伐採していたので、枯木、枯芝などが続き、又枯草のある原野杉、檜を植栽した原告所有林に接続していたし、そのうえ、当時二旬余にわたり晴天続きで、乾燥し切つていた。従つて、右溜焼場でそのような時に根株を焼却した被告は一旦谷あいから吹き上げてくる強風を受けた場合、溜焼場の火気が容易に大きくなつて飛火するなどによつて火災になる虞のあることは当然予見できたのであるから帰宅する際には、溜焼場の火を完全に消すか、或は穴を掘つて埋めるか、又は充分土砂を覆い掛けるなどの措置を講じ、突風などによる発火の危険を未然に防止する注意義務があるのに、被告は、右のような措置を執らないばかりか、終夜燃え続けるように溜焼場に根株などを積み重ねて焼却を継続し、翌日火のことが気になりながらも現場に行つて火の状態を確かめないで漫然そのまま放置したため、本件火災を発生させたもので、右は被告の重大な過失に該当する。
四、右火災により、原告は前記第一目録記載の原告所有林を焼失したが、その被害額は同第二目録記載のとおり金三八七〇、六六七円である。右損害額の計算は、保安林整備臨時措置法施行令第五条、同法施行規則第二条にもとずく。もつとも右各規定は、同法第四条ないし第六条に規定する保安林とするための立竹木の買入、交換又は買取する場合における評価基準に関する規定であるが、営林局においては、国有林野並びに公有林野官行造林地の被害額算定についてもこれを準用している。(熊本営林局準例規第一七号(昭和二五、一一、八)同第六号(昭和三〇、三、一〇)による。)
五、以上の次第で原告は、被告の重大な過失によつて金三八七〇、六六七円の損害を被つたから、被告に対し同額とこれに対する不法行為の日の翌日である昭和三二年三月二三日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
被告訴訟代理人は次のように述べた。
第一、請求の趣旨に対する答弁
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二、請求の原因事実に対する答弁
一、原告主張の請求の原因事実中一の事実は認める。
二、同二について、
(一) 原告主張のように原告所有林が火災によつて焼燬したことは認める。
(二) しかし右火災の原因は被告にはない。
(1) 被告は同月二〇日午後五時頃まで溜焼場で根株などを焼却したが、帰宅に際し当日山火事のあつたことを聞知したので特に注意して娘の訴外鈴木チヅ子、同鈴木チヨ子と共に溜焼場に約九糎の土砂をかぶせて火を消し、そのうえ、附近に居住している訴外鈴乙一に念のため気を付けて呉れるように依頼した。
(2) 被告の溜焼した一帯は、同日から約一週間前地上焼却をしたから、その時燃え易いものは燃えてしまつた。従つて原告の主張するように飛火したとしても燃え移るものがない。最初に火災を発見した訴外橋口妙子は、溜焼場から約一〇米の地点が燃えているのを見たというが、そこは、被告が地上焼却した範囲内であるから、燃える筈がない。
三、同三について、
(一) 被告の未懇地が小高い山の西側の傾斜地にあることは認める。
(二) 被告に重大な過失のあつたことは否認する。
(三) 仮りに被告に右火災の原因について過失があるとしても、それは右に述べたように被告は特に注意して溜焼場の火の始末をしたのであるから、軽過失に止まる。そのことは、串間営林署長が熊本営林局長に宛てた国有林野被害報告書(甲第六号証の一)に、「加害者は調査の結果、重大過失による失火と認め難い。」とあることによつて裏付けられる。
四、同四について、
(一) 原告主張のような法令のあることは認める。
(二) 本件原告所有林は保安林ではなかつたから、右法令を準用して算出した原告主張の被害額を争う。
証拠(省略)
理由
一、原告主張の請求の原因事実中の一の事実と、昭和三二年三月二一日から翌二二日までの間別紙第一目録記載の原告所有林四二五町歩が火災によつて焼失した事実は当事者間に争いがない。
二、右争いのない事実や(証拠)を総合すると、
(一) 被告は、昭和二五年原告から、宮崎県串間市大字奴久見字夫婦石に未懇地の払下げをうけたが、その未懇地のうち約六畝歩は、別紙第一図面のように、小高い山林の中腹部にあり、山頂稜線から下方約二五米附近がその中心で、西面した勾配一〇度位のところに位置し、その西下方は北東から南西に細長い小谷があり、その小谷越しの北西側は高台で、右未懇地の北東側は、前記稜線を境に原告所有林に接している。このように右未懇地は、西北、北、東方が山に囲まれ西方だけ開き、しかも県境峠部で頂上稜線に切れ目があるため西風を真向いに受ける場所である。(同図面参照)そうして、右未懇地の西方は枯草が続き、西北、北、東、南東の一面は、前述原告所有林に接する右稜線まで、雑木や原野が続いていた。(被告の右未懇地が小高い山の西側の傾斜地にあることは当事者間に争いがない。)
(二) 被告は、右未懇地の払下げをうけたが、その開墾の成功検査が昭和三二年三月二五日に行われることになつた。そこで、被告としては、同日までに開墾を完成しないことには、右未墾地を返還しなければならなくなるので、同年二月頃になつて急いで右未墾地の開墾作業を進めた。
(三) 右未墾地は、樹令二〇年位の雑木林であつたので、被告はその頃雑木林を伐採したが、根株はそのままになつており、そのうえ木の枝葉が一面に散乱したので、根株を掘り起し、木の枝葉を寄せ集めて一諸に焼却して開墾作業を進めた。このようにして、同年三月二〇日も午前九時頃から作業にかかり、右未墾地内に別紙第二図面の場所五ケ所に夫々松の根株などを直径四尺位の円型に寄せ集め、それに枯枝などを入れてマツチで点火し、作業が進むにつれ掘り起される根株を逐次投げ込んで焼却した。被告は、その日は午後六時頃作業をやめたがその頃は、約二〇日間も晴天続きで、附近は乾燥し切つており、同日も快晴で無風状態であつたので、被告は夜になつても風が出ないと考え、成功検査が間近かに迫つていることのあせりもあつて、帰宅するに際し右五ケ所の溜焼場に更に木の根株などを投げ込んで、それらが燃えきるようにし、各溜焼場の周囲には、乾燥し切つた土を少しばかり掛けただけでそのまま放置して下山した。
(四) 被告は、その翌日である同月二一日は、溜焼場のことを気にも掛けず、右未墾地に行かないで、自宅で芋の床作りをしたが、右未墾地附近に開墾地を持つ訴外中山道義が同日午前中に右被告の未墾地を見たとき、溜焼場から白い煙が立ち上つているのを認め、右未墾地から北西に約一〇〇米位離れた自宅の開墾地で作業中の訴外橋口妙子は、同日午後二時三〇分頃被告の右未墾地のすぐ上の原野が約二坪程燃え出しているのを発見した。
(五) 同日は午後二時頃から急に西風が風速一二米位に強まり、畑の砂が下から吹き上げられる状態で、その頃右未墾地附近では、被告の溜焼場の火の外誰も火を燃して溜焼などしていた者がなかつた。
(六) このようにして被告の右溜焼場から飛火して、被告の右未墾地のすぐ上の原野についた火は折柄の西風にあふられて火勢を強め、遂に原告所有林に燃え移つて同月二二日午前一〇時頃まで燃え続け同第一目録記載の原告所有林四二五町歩などを焼燬した。
(七) 同日直ちに串間警察署巡査部長訴外小沢富美雄が、被告の右未墾地を実況見分したがそのとき、右各溜焼場は直径一、五米位の円型で、内部に厚さ〇・二米位にわたり焼灰をため周囲には、燃え残つた木の根株、木の枝、幹などが残存し、三ないし五の溜焼場の中心部に燃え残つた松の根株と各溜焼場の焼灰は、尚火気が残りくすぶつているのが認められた。(同第二図面参照)
(八) 被告の所属している福島町開拓農業協同組合では、日頃開墾のため溜焼をするときは、直径三尺位、深さ一尺五寸位の穴を掘りその中で焼却し、焼却後は煙が出なくなるまで覆土を完全にするように指導していた。
このようなことが認められ、(中略)右認定を覆すに足りる証拠はない。
三、右認定の事実からすると、被告は日頃未墾地で溜焼をするときは直径三尺位深さ一尺五寸位の穴を掘つてその中で木の根株などを焼却するように指導をうけながら、同年三月二〇日午前九時頃から午後六時頃までの間穴も掘らないで自分の右未墾地内の五ケ所で溜焼をしたもので、右各溜焼場から約三米ないし一〇米の距離のところを、当時約二〇日間も晴天続きで全く乾燥し切つた雑木林原野が囲繞し(同第二図面参照)、そのうえ右未墾地は、西風が真正面に吹きつける地形的場所にあつたわけであるから、被告としては、このような場合帰宅に際し、充分各溜焼場に覆土をし、残火が西風にあふられて飛火しないような措置を執つて右残火による発火と飛火を未然に防止すべき注意義務があるのに、被告は成功検査を目前に控え、早く右未墾地の開墾作業を完成させようとあせり、同夜は風が吹かないから完全に燃え切るだろうと判断して却つて右各溜焼場に、新に木の根株、枝、幹などを投げ入れて、それらが燃焼するように、ことさら覆土をせず僅かばかり乾燥し切つた土を各溜焼場の周囲にかけただけで下山し、翌二一日も右未墾地に右溜焼場の様子を見廻らないで放置した結果、右溜焼場の火は、翌二一日も燃え続け同日午後二時頃急に吹きはじめた西風にあふられて同時三〇分頃右未墾地のすぐ上の原野に飛火し、同原野に続く原告所有林に延焼して同第一目録記載の原告所有林を焼燬したものであつて、右火災の原因は原告の重大な過失にもとづくものといえる。
四、被告は、被告に重大な過失のなかつたことは串間営林署長が熊本営林局長に宛てた国有林野被害報告書(甲第六号証の一)に「加害者は調査の結果、重大過失による失火と認め難い。」とあることによつて裏付けられると主張しているが、(証拠)によると、訴外長友作郎は当時串間営林署庶務課長として火災の原因を調査したところ、被告は溜焼場には充分土を覆せて煙が出ないようにして下山したのに、翌二一日は午後二時頃から急に西風が強く吹いたので溜焼場の火が飛火したという結論に達し、被告がした溜焼場の火の始末は充分であると判断して右報告書を作成したことが認められる。しかし、当裁判所は同訴外人のその判断に何等拘束されるものでないばかりか、却つて同訴外人の判断は被告が充分な覆土をしたという点で誤つた前提に立つ間違つた判断であると考えるから、同号証の右記載は、何等当裁判所の認定の妨げとなるものではない。
五、そこで、進んで損害額について考究すると、
原告が熊本営林局準例規第一七号同第六号によつて、国有林野並びに公有林野官行造林地の被害額の算定に準用のある保安林整備臨時措置法施行令第五条、同法施行規則第二条を適用して本件火災による損害の計算をした結果は別紙第二目録記載のとおりで、その合計を金三八七〇、六六七円と算出したことは、(証拠)と弁論の全趣旨によつて認められる。被告は本件原告所有林は保安林でないから右計算の方法は適当でないと主張しているが、熊本営林局準例規第一七号同第六号によつて、被害額の算定について保安林の評価方式を準用しており、そのことが、特に合理性を欠くことについて何等首肯できる資料のない本件にあつては、原告の算出した金額を損害額とするのが妥当であるから被告のこの主張は採用しない。
六、そうすると、被告は原告に対し右重大な過失によつて原告所有林を焼燬して金三八七〇、六六七円相当の損害を被らせたのであるから原告に対し同額の賠償をしなければならないこと勿論である。従つて被告に対し同額とこれに対する不法行為の日の翌日である昭和三二年三月二三日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める原告の本件請求を正当として認容し、民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。
宮崎地方裁判所民事部
裁判長裁判官 野田普一郎
裁判官 古 崎 慶 長
裁判官 三浦伊佐雄
(第一、第二目録、第一、第二図面省略)